秋の夜長
秋の夜
部屋には、昼間のうちに、下の公園でもらってきた
いく枝かの金木犀の、甘い香りでいっぱいだ
雨が降っている
ポタリポタリと雫が落ちる
小さく、リリリリリ...と虫の声
夫と、ゆうちゃんと、三人分の紅茶を入れる
夫の買ってきてくれたりんごのケーキを
三つに取り分ける
良い夜だ
部屋に、親密さが満ちている
ゆうちゃんも来てくれているのだろうか?
先日、ある人にメールを書いて
お返事をいただいたのだけれど
終始、肯定的な文章だった
ゆうちゃんがいってから、はじめて、
自分が肯定されたような感じに思えた
そうしたら、すこし気持ちがやわらいだ
自分の気持ち、態度、おこない、
嬉しさ、悲しさ、苦しさ、全てを
肯定してもらうって、本当の癒しだと思えた
わたしは、たまに相談されるときに
「相手は悪気はなかったと思うよ」
「そんなに気にする必要はないよ」などと
よく言ってしまう。
「そうだね」「それで良いよ」という
肯定なのかもしれない
わたし自身も含めて
みんなが深く傷ついている
隠すつもりはなかったけれども
人に話さなければよかったと思うこともあった。
人はわからない。
人の話を聞くことはあっても
わたし自身は誰にも話しにくく、
こうやって書くことでバランスをとるようです。
もう、なんでも書いて見たくなりました。
妹の子どもに、お姉さんや家族がこうしたあげて、ああしたあげて、
などと言われることがありますが
事情があり、わたしたち家族は妹の夫と子どもには滅多に会うことがありません。
その事情とは、妹が逝った後、告別式の前々日くらいに
妹の夫と、うちの家族の一人が、大げんかになったのです。
その発端は、妹の残した日記の内容にまつわることでした。
激昂した妹の夫は、「もうそちらの家とは縁を切る」
と、子供を連れて出ていってしまったのです。
そして、なんと次の日に、妹の夫は親戚を通して通報し、
神奈川県警から要注意人物(?)として実家に電話がかかって来たのです。
もちろん訳を話すと、ああ内輪の喧嘩ですね...と。
随分とこじれてしまって、それを聞いたときには
なんだかおかしくて笑ってしまいました。
こんな小さい粒ぞろいの私たちの、一体何が怖いのでしょうか?
私たちは、告別式にも出られるかどうかわからず、
でも、もうはっきり言って、どんなことがあっても、
妹が逝ってしまったことよりも悪いことはないので
何もかも、どうでもよかったのです。
入れなかったら、私たちはどっかで妹を思いながらお茶でも飲も♪と
どうでもなれと、喪服を着て、夫と高速に乗りました。
途中、海老名のSAから実家に連絡すると、
母は、やっぱり式には行かないと言い出しました。
「わたしが行かないで、それで向こうの気がすむなら…」と。
直感で、「行こう!大丈夫、入れるよ!来るまで駅前で待ってるから!」と
ちょっと強引に言いました。
そうしたら、珍しく母も「わかった。10分で支度する!」と。
家族揃って、そろりと、会場に行ってみました。
家族葬でしたが思ったよりも大勢来てくれていて、
結果、入れてもらえました(笑)
実は、なぜだかわたしは交通事故だと知らされていた
妹の夫も、家族も、わたしには黙っていた
前日に本当のことを知った
どうしてだろう?
最初から本当のことを言って欲しかった...!
と言えるほどの姉ではないけれど
みんなの心を思うと誰も責められない
でも辛かった
もう疲れて疲れて、泣くどころではなかった
告別式は、やっぱり行けてよかった。
妹には、本当に良いお友達やお知り合いがいるのを知りました。
こんなに愛されていたんだな、とわたしは胸が熱くなりました
きっと妹もいずれ同じように感じると思います。
生きているってことは、つくづく視野が狭いことです。
本当に、自分の狭い視点で、思い込みで、物事を感じてしまうのですね。
私は結婚し、実家からは離れて暮らしており
中立的な立場にいられるので
時々、妹の夫に連絡を取ってはいる
誰もがそうだけれど
ネガティブなところを見ようとすればきりがない
信頼し、生きていくのがいいのだろう
そして、これを書いている最中にも、よくあるのですが
右の目端にちらっと何かが光り、動きます。
ゆうちゃん?と語りかけてみます。
実は妹とわたしは八年間、会っていませんでした。
それは、わたしの発言がおそらく妹を傷つけてしまったのです。
妹が結婚し、一年経って、子どもが誕生しました。
妹は、わたしに子どもを愛してくれるように熱望していました。
ところがわたしは、妹の気持ちに応えられるかどうか
大変なプレッシャーを抱えていました。
実は、わたしには、目の前にいる無垢な赤ちゃんに対して
それが出来なかったのです。
妹は、じきに夫の仕事の都合で東北へ転勤することになり、
少しホッとしていました。すると、敏感な妹はそれを察知し
電話で問い詰めてきました。
ですので、仕方なく正直に無骨な意見を言いました。
わたしは、血が繋がっているというだけの理由で
まだどういう人かわからない赤ちゃんに対して、
無条件に好きということが出来ないと..
もう少し大きくなってみて、どんな人間かわかってきたら
何か感想が言えるかもしれないと。
そこからさらに数十年前。
母方の祖父が亡くなった式の後、親戚間で相続に関する争いがありました。
どういう理由だったか、ひとり皆から責められた母は、小学生のわたしだけ連れて、
新家に引きこもり鍵をかけ、以後誰とも会おうとしませんでした。
仕方なく旧家に残っていた親戚たちは、ようやく四散していきました。
親戚には、古い地主の家柄だったせいか
血筋に誇りを持っている人が多く、
わたしにはそんな誇りや血縁に対する執着がとても愚かしく思えました。
妹にはそんな話もしました。
今でも思い出しますが、途中でひどい頭痛がしてきたので、
一旦電話を切らせてもらい、頭に氷を乗せ、横になりました。
それ以来、妹からは連絡がくることはなくなりました。
わたしはきっと妹の理想の姉ではなかったのでしょう。
わたしはわたしで、変えようがありません。
わたしは、それでも後悔も罪悪感もなく、
ただただ、妹を大好きだという気持ちを手紙に書いてお棺の上に載せました。
妹は読んでくれただろうか?
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migiwa☽ tanaka
















