妹への手紙






困苦にあひたりしは我によきことなり

此によりて我なんぢの律法をまなびえたり



詩篇一一九篇七一節














妹への手紙








夕日が差し込んで木々の間から


まだ明るい金色の光が差し込む。


爽やかな風が吹き、庭は緑溢れて、夢の白いウッドデッキを製作中だ。


ベンチを置いたレンガ敷のスペースには


ペールグリーンに塗った椅子とモザイク調の机が置いてあり


まわりを取り囲むようにハーブの鉢がある。




 

夢が少しずつ実現している。


夢が現実に現れているようだ。


ふと、世界は、明るさに満ちていて、慈愛に満ちていており


何も悩むこともなく、苦しむこともなく、不安に思うこともなく、


世界はこのまま、見たまま、天国のような光に満ち


平安に満ちている、と感じる。

 






そしてまた部屋に戻って思い出すのだ。


毎日毎日、思ってたこと、今まで考えたこと。


悲しみ、現実に起きたことだったのかという夢のような不思議な感覚。


自分に何かできたんじゃないかという、終わりのない考え。

 






私はこの庭を、いつくしみの庭にしよう。














私の展覧会を開催して頂いた


五月十五日は、妹の誕生日だった。


母が、「みーちゃんがそう決めたんでしょう?」


と言ったので、笑ってしまった。


それは、偶然のことだったから。













私は妹を褒めてあげたい。


私たちの世界では、外の世界とは違う


倫理のようなものがあるのかもしれない。



 

普通の学校、一般的な教育、テレビのニュース、新聞、みんなで話すこと、


その全てから、私はいつも遠くはなれている。




良いも悪いもなく上も下もなく。


ただ、こちら側と向こう側がある、そう思う。














妹は、確実な方法で自ら旅立った。


結局一体この顛末を誰から聴いたのだったろう


あまりにもバタバタしていた。




そして人によって言うことがバラバラだった。


とにかくその事は、


その後私を毎朝、苦しめることになった。



 

そのことを思い、夢に見て、想像し苦しんだ。





でも、私は、最初にそれを聞いたとき,


妹らしいな、とぼんやりと思った。


潔いなって思った。


褒めてあげたい、と思ったのだ。














妹は、努力家だった。カメラマンだった。


どちらかと言うと男の世界のカメラマンの仕事


事務所に通い、働いている時期があった。




毎晩午前様、電車を乗り過ごし、青梅まで行ってしまい


駅のホームで朝までやり過ごしたこともあった。



 

本人は華奢で綺麗な子だった。


そんな仕事をするとはとても思えないような。




しかし重い機材を背負いすぎて、


右肩が斜めに下がっていた。














帰ってくるなり、部屋のドアを大きくバタンと閉め、


くぐもった泣き声が聞こえてくる夜もあった。

 


とにかく何に関しても努力をした。


そして精一杯悩み、精一杯努力し、また精一杯悩んだ。














お酒も飲んだ。


帰り道、コンビニで買ったビール一杯で


少し気持ちが軽くなると笑っていた。




 

日本酒もよく飲んだ。


昔一緒によく行った吉祥寺の焼き鳥屋さんでは


男山、美少年、冷たいものを


一升枡と冷やされたグラスで好んで飲んだ。




笑うときは、威勢良くからだ全体を揺らして笑った。




可愛くて華奢で綺麗なのに、男前だなと思った。


かっこいいと思った。














お化粧が上手だった。


私もお化粧してもらった。服も選んでもらった。


ひとりでは立ち寄れない、ブランドのお店でバッグも選んでもらった。




妹に見立ててもらうと、とてもきれいになったように思った。


 

 

妹が中学生、私が大学生の頃は、二人で並んで歩いていくと、


いろいろな人が、軽くクラクションを鳴らした。


最初は何故なのか、よくわからなかった。


わたし一人で歩いていても、クラクションは鳴らなかったから。



妹は目鼻立ちが整って、目立つ顔立ちだった。















小学生の頃は、妹は青空のようだった。


とてもあっけらかんとしていた。


マッシュルームのように短く切りそろえて


黒光りする艶のある髪だった。


 



よく男の子に間違えられた。


それなのに、郷里のおじさんやおばさんは、


この子が姉妹の中で一番美人だと言った。


うりざね顔だと言った。


妹は額が広く


黒いまっすぐな日本人形のような前髪が


額に下がっていた。














私が大学の頃、高校生の妹は時々大学祭に遊びに来た。


「お姉ちゃんがいつもごめんね」


などと挨拶をしていた。



気づくとクラスの男の子たちが、


利発な妹を取り巻いていた。



「妹、元気?」


とよく声をかけられた。

 

妹、可愛いね、と言われるので、


私は自分がそう言われたようで、とても鼻が高かった。
















妹は美大に進学した。


そこで将来に悩み、大学を中退して写真の道へ進んだ。


でも、美大ではかけがえのない友達ができた。


親友との付き合いは、死んでも続いている。














どんな仕事も精一杯。


精一杯努力し精一杯悩んだ。

 

長く吸っていたタバコも結婚と同時にきっぱりやめた。













そして最後の日、満月の一日過ぎた翌朝。





明け方に沈む明るい明るく美しい月を


妹は観ていたのだろうか?

 













遺体には会えなかった。


当日は箱のままだった。


暑い最中の告別式だった。











親族が悲嘆に暮れているのを


好奇心でみられるのは嫌だったので


わたしは泣かず、表情に「困ったような笑顔」を作っていた。




母も、もう一人の妹も、あまり泣かなかったように思う。


私たちは、あまりにもバタバタしていたので


そんな心境ではなかったのだった。












箱の上に手紙を乗せて


箱の上に農協で買って来たひまわりの花束を載せた。


箱のまま、あっという間に式が終わって


箱のまま、火葬されていった。





母は、火葬場へ見送る時に少しだけ両手で目を覆っていた。





母の代わりに立ち会った。


出て来た白い骨をみても、無感覚だった。


ふうん、白くて綺麗だなと、ぼんやりと思った。





骨壷に八月六日と書いてあって、


私たちは初めて正確な命日を知った。




もう一人の妹が、骨をみて何か呟いたので


火葬場の人が、骨密度が高い健康な人の骨だと教えてくれた。


毎朝、四時に起きてジョキングしていたらしかったから。


でもこれが妹とは思わなかった。













今ここに骨があるわけではない。


譲ってもらった、リネンのワンピースと夏の帽子だけがある。







妹は一体どこへ行ったのだろうか?


これが本音である。














頭は明晰な状態だったと思う。


前の日か、前々日に撮ったビデオを見せてもらった。

 

自宅の二階の窓から、八月の満月を写したものだった。




わあーきれいだね、気づかなかったよ。


月が出てるって教えてくれてありがとう!




 

そう言う妹の声だけがビデオに入っていた。


感情のこもった嬉しそうな声だった。













私は同じ頃、同じ月を、河口湖の湖畔で見ていた。


八月なのに、足元を蛍が照らしていた。












突発的なことでは無いと思う。


前々から決めていたことだったのではないかと思う。


妹はいつでも計画的だったし用意周到だったから。

 











それならば、妹の気持ちは尊重したいし、妹の選択は尊重したい。


決めていたことや、はっきりした頭で決めていたことならば、


やはり尊重したいと思う。




私は妹の人生を最初から最後まで誉めたい。


それは妹が決めたことだったんだ。













きっと非難する人はいるだろうけれども


やっぱり、私は褒めたい。

 

よくがんばったね、四十一年、よく生きたね。

 

全てが潔良かった、大学進学も、中退も、


カメラマンの仕事も。




海の見える式場での結婚式も、立派に仕上げた。


四十一年勇気を持って邁進しては傷つき


それでも邁進して来た。


最期も自分で決めた。


私はずっと応援するよ。
















そして、妹のその選択は


生きていたいという強い叫びだったと今思う。












死にたいという声は


生きたいという声の強い裏がえし












生きていたかったね。


生きていて欲しかった。


何もできなくて


私は逃げてばかりで、本当に本当にごめん。













私は片足を妹の世界に踏み入れ、


もう一方の足を、この世界に留めていると思う。

 

生と死を共有した世界に私たちは生きている。

 

 


2012 5 15
















 

 幸福なる哉、いま泣く者よ、汝ら笑ふことを得ん。


ルカ六章二十一節












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migiwa☽ tanaka