旅の途中 終わりゆく紫陽花





終わりゆく紫陽花は


花びらが


草色に還っていく








 

バッハの音楽は、天国への階段だと思う


繰り返し聴いたカンタータ


リュートのバージョンが特に好き(後半より)













今の私が


天国というものを識らなくても


バッハを聴きながら山々を、空を


見上げるとき


私はその一部分に溶け込み


やっぱり、天国への階段を見ることになる。










妹は天国にいるのだろうか?









 

わたしの実感としては、


一緒に旅をしていて、いつの間にかはぐれてしまった。


その後、足取りがつかめない


そんな感じが一番ぴったりくる。









だから、実際、本当にそうなのではないかと思う。





 

これがわたしにとっての現実味。

 

はぐれてしまって


妹はわたしに気付いていない。


かすかに、かすめるときはあるけれど


妹はわたしをまだ呼んでいないのだと思う。









もし妹のいる世界で


心身を休める場処があるのならば

 

いま、寝ているのかもしれないと思う。


記憶を少し失っているのではないかと思う。


きっと、いろいろ疲れただろうから。









紫陽花の最後の季節に


池に花を浮かべる風景が見られる





少し、うつらうつらした時に


妹が白い建物にいる映像を見た





抜けるような青い空が


真っ白な建物の壁に青い影を落としていた。


妹はその白い部屋の一室のベッドにおり


ひとの気配はなくて、静かな場処だった。




付き添いの女の人が一人いて


高い円柱ガラスの花瓶には


カンナのような赤い花が一輪活けてあった。










だから、それならば、


季節の花を。


冷たいカフェオレやヨーグルト


甘いものなど少しを持っていって








雨が降りそうだね、とか


かみなり鳴っているよ、とか


心で いろいろと話しかけている。










今夜も遠くには微かな蛙の唄


十五夜は朧月


山からは、冷たい風が吹いてくる














哀傷の家に入るは

かなしみのいへにいるは


の家にいるに愈る

ふるまひのいへにいるにまさる


其は一切の人の

そはすべてのひとの


終かくのごとくなればなり

をはりかくのごとくなればなり


生る者またこれを

いけるものまたこれを


その心にとむるあらん

そのこころにとむるあらん






悲哀は嬉笑に愈る

かなしみはわらひにまさる


其は面に憂色を帯るなれば

そはかほにうれひをおびるなれば


心も善にむかへばなり

こころもよきにむかへばなり





傳道之書


第七章 二、三節











褪せていく紫陽花も美しい

今年は色の移りゆく紫陽花が

殊に心に沁みました















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migiwa☽ tanaka