悲しんで良い部屋







傷ついている人がいる






どうしたら良かったのだろう...


許してほしい...


目覚めると思い出すから、目覚めたくない...













傷ついて心身の力を(一時的だとしても)失っている人が

さらに周りの言葉に傷ついてしまうことは


多々あると思う。






何事もなかったようにされたようだ...


意見、アドバイスに傷ついてしまった...


なんで具合悪いの?


もう元気になったよね?と接されると


何と言っていいかわからない...







だからといっても、相手を変えることは大変だし


一人変えても、また別の一人を変えなければならないと思うと


終わりなきことに


消耗してしまいそうに思う。









何よりも、陥りがちなのが


自分を責めてしまうということ。





また、人の言葉に傷ついてしまう自分…


こんな些細な言葉で傷ついてしまう自分…


人は悪気はないとわかっているから


許さなくてはいけないという気持ち…


それでも許せないことに自己嫌悪…








人も自分も許せないという


二重に苦しい立場に陥ってしまう。








せめて、自分を許したいと思う。









人の言葉に傷ついてしまう自分を許す...


こんな些細な言葉で傷ついてしまう自分を許す...


許せないでいる自分を許す...








本当の許しって


「許さなきゃいけない」という理念では


到底できないと思う。






まずは自分を許すこと


それが、立派な許しの一歩だと思う。










気づいてみれば


「私」には、いつもふたりの視点があるはずだ。




「私」が


泣いている、傷ついている


とっても怒っている、…


そんな「私」をみている、もう一人の私がいる。




そんな「私」を許してあげたい。


そんな「私」に、私だけは、


何も言わずにあたたかく居場所を作ってあげたい。



........




そして、同じような人がいたら


やっぱりあたたかいい何かを差し出したい....











ほっとする場所がほしい


自分の正直な気持ちでいられる居場所がほしい






そんな場所をみんな


一生懸命探しているのかもしれない




同じように家族を喪った方々との


わかちあいが心の拠り所になっている





そこは「悲しんで良い場所」


そこでは、批判もアドバイスもない





悲しみは私たちのもの









みんな、突然、舵を失った船のように


前も後ろもわからずに


辛うじて、暮れに霞む、薄明かりの灯る港に辿り着く


そんな心情だと思う





そして、心底孤独である







わかちあいは、


たとえ笑いあっていても


みんな心の底に


寂しさや悲しさを共有している


そんな部屋の会話が、心に沁みる











わかちあいができたときに、感じることだけれども


自分の周りの空気のようなものが


すっと軽くなる感じだ




これはお月さんをみて絵を描いている時も


感じることなのだが


自分の周りを取り巻く空気が


見えない光のシャワーで軽くなる感じだ








わかちあいで出会う人々は


少し、家族のようにも感じている。


友人のように温かくしてくれるのが


また心に沁みる。









悲しいのあとには余計に


うれしいが心に沁みる





あなたのおかげで友だちができたよ


今夜は、妹に言いました。









凡て勞する者・重荷を負う者、


われに来れ、われ汝らを休ません。


我は柔和にして心卑ければ、


我が軛を置いて我に學べ、


さらば靈魂に休息を得ん。


わが軛は易く、わが荷は輕ければなり。




マタイ傳第十一章

二七~三十節








追記:


「わかちあいに参加して、他の人のお話を聴き

なんとかその人に元気になってもらいたいという想いが

自分に返ってくる」

という言葉を聴きましたが

全くその通りだと思いました。












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migiwa☽ tanaka