遠くにいても空はつながっている









六月の雨でもなく


八月の雨でもなく


九月の初秋の雨はこたえる…




急にひんやりして山々が雨にけむり心地よい


空気がしっとりしていて描きやすい


雨空に、山の輪郭が溶けていく


すごく好きな感じではあるのだけれども…




昔からそうだったけれども


この季節に、不思議に記憶の扉が開く


何を具体的に思い出すのではないけれども


何か、見えない扉が開く


世界が、がらっと変わるのだ




9/1
























痛みがくる


痛みがきているのはわかる


波のように繰り返しくる


それを意識はできているのだけれども


やっぱり、しっかりと痕跡を残していく





やり過ごすしかないのかな…





ゆうちゃんも、秋冬が苦手だった


深刻と言っていいくらい、本当に辛そうなときもあった。





そういえば、一年中暖かい


マレーシアに住みたいと言っていたな...



9/2











































いつもと同じことしか起こっていない





朝一番にデッキの掃除をする


庭の鉢にお水をあげる


ご飯を作る


仕事がある時ない時に関わらず

絵を描く


空と、山の稜線が見える


妹がいない



......



それなのに


自分次第で世界の色は変わる




......




一月二月は闇に近い暗紫色


三月はほのかに光


四月~八月は様々な色


九月はまた暗転



......




物事自体は変わっていないのに


一つの物事が


自分次第で


良くも悪くも


悲劇的にも楽観的にも


如何様にも変わっていく…



不思議だなあ






9/4


































一気に秋めいて


山は白い空に溶けそう


夜の虫の声は


深淵から響き


心の淵まで押し寄せてくる






心身が、引きずられるように重い…


それをどんなに客観的に眺めても


意識の光を当てたとしても


やって来て、去った後の胸は痛い


本当に、じりじりと痛くて叶わない






何か特効薬は


あるのだろうか?





9/5



























ふと、足を向こう側に一歩踏み込んでしまう


そこは、安寧の場所だ


生と死の間にある世界だ


この闇は温かい


この闇は自由だ


時間も空間もない






しかし、普段ここへは容易には来られない


それは、やっぱり知らず知らず


生にしっかりと両手両足で、しがみついているからだな







痛みに抗えず、ふと、ここに落ちると


すっと楽になる


別に、何も掴むものなどはないではないか




それでも


日常に戻ると


また同じようにじんじん痛み出す。


心の震えが止まらない


夕暮れをなんとか乗り切り


ようやく


今日も夜が来たと


小さくほっと息をつく





9/6











































夕暮れ


ウッドデッキに椅子を出して


ふと足元を見ると


小さい白っぽい羽が落ちていた


たぶん、小さい鳥の羽だろう


めずらしいな、と思い、箒で履こうとして


ふと羽は吉兆と思い出し、なんとなくそのままにしておいた






あとで拾い上げようかなと思い


足元に置いたまま本を読んで居たら


いつの間にか、羽は消えていた


デッキは白くて広々しているので、そこにあれば一目でわかる


あたりを探しても見つからない


どこにいったんだろう?


風に吹かれて飛んでいったのか





何かのサインかな...


妹だといいけれど...




他の何でもいい


誰でもいいから


誰かに、見守っているよと言ってほしい




9/7















































九月の初秋の夕暮れ


いまこうして、仙台に来ている


そうして、妹が親しんだという


広い公園の水辺のベンチに座っている





私はいったい何をしているのだろう?






ここで迎えて下さった方に


ゆうちゃんの、仙台時代の写真や動画も見せて頂き


話すたび見るたびに


ずっと涙が止まらない



......




ピアノ演奏の動画が良かった


いつも人目や人の評価を気にしている妹が


ただ没頭して、ピアノを弾いている


想いのこもった音色であった






その姿を見て、胸がいっぱいになり


また泣けてきてしまった








というわけで仙台では終始泣いているので


私の顔は、腫れてパンパンになっている







ここで会えた方が


「ゆうさんはいけない事をした」


とはっきり言っていた


それは、温かい気持ちから生まれた言葉で


逆にありがたく、私は親身を感じ、


手のひらに乗ったような楽な気持ちを、感じていた







ベンチで休んでいたら


どこからか蜻蛉が飛んで来て


ほんのしばらく肩に止まって、また飛んで行った


ゆうちゃんのいたずらだったらいいのにな、


と思った






辛いことが多かったという仙台時代


痩せていた仙台時代


でもここで出会ったのは


家族のような、温かい人たちだった







ゆうちゃんは「仙台時代は幸せだった」と言うと思う


仙台が好きだと思う


私はゆうちゃんに似ているから、よくわかる








ほんの少しだけ


あたたかい気持ちを抱いて


帰路に就くことができると思った




9/11


















































































人の、光を見たい。


光を信じたい。


光がその人だと思いたい。



自分の光もみたい。


私はその生き方しかない。


それでしか生きていくことはできないと思う。




9/13































「遠くにいても空はつながっています。


亡き人たちとも、心はつながっています。」



(田中幸子さんから頂いたメールの最後にあった言葉)


































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migiwa☽ tanaka