太古の湖
遠く阿蘇外輪山を望む
初日の出
......
その夜明け前
新しい土地や、海岸、また神社などを訪ねたとき
誰かがやってきて
歴史を語ってくれることがある。
特に頼みはしなくとも
土地の歴史、人々の暮らし、
ゆかりのある人物など
おもむろに話し出す。
しかも、かなり詳しく面白く話してくれる。
思わず聞き入ってしまい
気づくと、あっという間に時間が経っている。
調べようと思わなかったのに
結果的にこの土地の
様々な歴史を知ることができた。
旅していると、そんなことが時々ある。
菊池川と朝日
年末年始は
熊本県菊池市にある故祖父母の家に帰郷し
家に風を通したり、
庭の手入れをしたりと過ごす。
けれど、私自身は、この広い菊池平野
ゆったりとした広い菊池川水系が
隅々にまでを潤す壮大な風景の中
厚い大気を胸に抱き
静かに自分の心に向き合うこと
そして朝晩スケッチをして過ごすことが
とても大切な
年の変わりゆく時である。
菊池川から沸き立つ湯気
元旦の日
夜明け前から細い月と初日の出を見ようと
スケッチブックとカメラ片手に
遠くまで広く阿蘇外輪山を見渡せる
迫間川の広い土手で
日の出を眺めていた時
やはり、カメラ片手に散歩のおじさんが
「おめでとうございます」
と、声をかけてくれた。
ここは遠くまで広く見渡せますね、
鞍岳と阿蘇外輪山の谷間の
良いところから日が昇りましたねなどと
少し立ち話をして
おもむろにおじさんは歴史を語りだした。
おじさんは地域の歴史に造詣が深く
語りが上手でその話は興味深いものであった。
今まで全く想像もしなかった
この辺一帯の地域の歴史を
知ることができた不思議な出会いの元旦だった。
まずはすぐ目先の集落「西郷」と
西郷隆盛の関係を語りだした。
菊池市七城町に
西郷と言う地名の集落がある。
ここは西郷隆盛家の先祖のルーツの土地である。
徳富蘇峰がそれを書き残したことにより
令和になって「南州公園」建てられた。
西郷家の祖先は菊池市出身だと言うことなのだ。
西郷隆盛が奄美大島に逃げたときに
菊池源吾と名乗ったとのこと。
「吾の源は菊池にあり」
太陽が昇り
一面に霜の降りた土手
また、この辺一帯、太古は湖だった。
考古学者によると
海抜40メートル以下に遺跡がないとのこと。
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「鞠智城」のヨミは「くくち」だった。
(以前、また他の人に
菊池は菊理姫(ククリヒメ)と縁があると
聞いたことがあることを思い出して
なんとなくしっくりときた。)
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その鞠智城の敷地内に池があり
そこから
手のひらサイズ位の観音像が見つかったこと。
身分ある人が大切に懐に抱いて渡来し
何か願いを込めて
埋蔵したのではないかとのこと。
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地名、「台」はウテナとよむ。
ウテナ出身の冨田甚平と
その治水工事の活躍について。
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地名、「神来」はオトドと読む。
神(王様)が川を昇ってきたところ。
貴船神社があるから京都と関係がある。
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外気温が低く、川の水が暖かい
.....などなど、
お話は色々に渡っていたが
まずはその足で
すぐ近くの菊池西郷南洲公園に行き
敷地内の神社に詣でた。
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次の日
水次のすぐ近所の神来へ行き
貴船神社に詣でた。
神来貴船神社(熊本県菊池市七城町)
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正月三が日が明けた後
おじさんの話を辿るために
鞠智城の温故創成館(歴史資料館)に入館した。
観音像のレプリカを拝見し
周辺古墳などの位置を確認する。
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妙見の樟、冨田甚平の墓を辿った。
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祖父の本棚にあった
厚い冊子「七城町誌」を持ち出して
地質の歴史から菊池川流域全体が
湖だったと仮説されている箇所を読んだ。
鞠智城から菊池市を見下ろす
広い美しい菊池川と肥沃な大地、菊池市を
鞠智城の高い展望台から眺め下ろし
太古、ここら辺一帯が広い湖だった事に
思いを馳せた。
図らずも、
故祖父母の家がある七城町の歴史と、
古代の地形に触れたお正月であった。
普段から歴史にはほとんど
興味を持っていなかったのだけれども
土地の神様が引き合わせてくれたのかな。
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