閉じ込められた時間 立春の夢
「アイスバブル」
湖の底に沈んだ木々が
発酵してメタンガスを出す
その泡が湖底から浮かび上がってくる
そんな現象が凍結したもの
まるで、美しい氷に
人知れず閉じ込められた時間を
映しているようだ
亡き父の夢1
このところ数回ばかり、夢に亡き父らしきものが出てきた。1回目はどこかカウンターのようなところで、何かコーヒーかフルーツジュースか、そんな物を飲んでいた。隣にいた人が父。私は何かを尋ねていた。
2回目は、どこか知らない場所だった。何か、テーマパークのような雰囲気は覚えているけど具体的なものは何も思い出せない。そこで私は、そう思うでしょう?などと、やはり父に尋ねていた。どちらも何か返事があったわけではなく、具体的な言葉があったわけでもない。生前と同じようにあまり役には立ってくれない父であった。
起きてみて、ただ、父が夢に出てくるのが珍しいなと思った。誕生日だったかなと思ったが違った。そういえば、一月が命日だった。やはり、命日前後は彼岸が近くなるのだろうか。
......
亡き父の夢2
詳細は忘れてしまったけれど、死んだ父がホースで水をかけている。二階の部屋にあるソファーに水をかけているのだ。掃除をしているつもりだろうか?私はびっくりして、
「階下に雨漏りしてしまうじゃないの!」
と、怒ってそれを辞めさせようとした。
「何やってんの!」
なんとなく亡き妹 ゆうちゃんと、その子供が出てきたような気がした。その家にふたりはいたような気がした。
私は、ゆうちゃんに今のメールアドレスを聞きたかった。教えてもらえるだろうか…私は、恐る恐る聞いた。ゆうちゃんはスマートフォンの画面を私にうっすらとかざしてくれた。でも、画面に映るメールアドレスは見え辛く、はっきりと見ることができなかった。少しゆうちゃんを薄く感じていた。親子は、住む世界が違っても、一緒なんだなあとも思った。
起きてみて、あの家はどの家だっけと思ったら、昔住んでいた生家、吉祥寺の家だったことを思い出した。私が生まれ育った小さな木造の一軒家。あまりしっかりとした造りの家ではなかったかもしれない。両側をすぐ家に挟まれて、狭間にぽつんと立っていた二階建ての小さな家。
そこを私は学生時代には出ていた。私が家を出ている間に、その家は取り壊された。そして私はその家に別れを告げることをしていなかったことを思い出した。
なんであんな夢を見たのかな。私はその家を思い出してありがとうと言ってみた。その家が好きだったかどうかはよく覚えていない。せまい北側の庭、都会の中で暮らす殺伐さ。私はあまり吉祥寺の家が好きではなかった。それでもその家で私は育ったんだ。
ありがとうと胸の中でつぶやいた。東側の比較的明るい四畳半の部屋。そこで小さい私は大きくなったんだよね。見守ってくれてどうもありがとう。
自分の心の中で、別れを告げていないこと
ありがとうを言い忘れていたこと
モヤモヤしたままなこと
たくさんあるようだ
そういうのが夢に出てくるのかな。
ゆうちゃん、わたしは傷ついたままだよ
多分まだしばらく
もしかして死ぬまでずっと
わたしは傷ついたままかもしれない
ゆうちゃんはもう楽になっているのかな。
楽になってるといいな
これはわたしの傷で
ゆうちゃんの傷じゃないから
わたしがどうだろうと構わず
どんどん楽になってほしい
子供のころ
青空のようだったゆうちゃんの姿に
亡き父の夢3
やっぱり吉祥寺の家。小さな子供として姿を現したゆうちゃんの、宿題のようなものをしているゆうちゃんをわたしと父で囲み、機嫌をとるように、みている。その後、二階で父が何かごそごそやっている。みると、厚い紙でできた三段の衣装ケースを組み立て、それをたくさん作って、わたしと妹たち、三人分の、本か持ち物を整理しているようだった。部屋じゅうに荷物を広げて…
「何やってんの!」
と、また怒るわたし。
「整理したいなら自分の荷物だけにしてよ!」
見当違いなことばかりして.....
それでも不器用すぎる父なりに、迷える三人娘のことを、なんとかしようとしているのかもしれない。目覚めてみてそう思った。
昨年の冬から、うつの波がやってきたり引いていったり。
まだまだ毎日いくらでも涙がでてくる。出しっぱなしにしている。
飯田に父のお墓があるので、春になったら10年ぶり位に行ってみようかな。