春めき桜と「My life after death」1





河津桜が見頃を迎えていますが

南足柄ではもう少しすると

土手沿いの「春めき桜」が開花します


さわやかな香りのある桜で

河津桜に比べて、ほんのりとした花びらの色が

空へ溶けて生きそうな可憐な花です










My life after death


エリック・メドフス
峰岸計羽翻訳




重い双極性障害を患い

二十歳でこの世から去ったエリック・メドフスが

スピリット、魂の存在として

向こう側の世界から語りかける内容です

エリックの母、エリーサ・メドフス医学博士と

エリックの媒体になる人物によって

会話はなされますが

エリックの口調はとても軽やかでいて

それでいて考えさせられることが多い

何と言っても向こう側の視点なので

コペルニクス的転回が必要なくらい

なかなか頭には入ってこない内容かも

しれません

しかし、心にはとてもよく響きます







本文の第二部「移行──トランジション」より

五箇所を以下に引用します








死によって向こう側の世界に移行し

人生を振り返るシーンの後....




 『説明するのは難しいんだけど、僕はこの時初めて、善悪と言うものは存在しないとわかったんだ。


 自分が裁かれていると感じなかったのも、ここには裁きとか恥とかいった概念がないからだ。僕は、一瞬一瞬を、それぞれの体験を、ありのままに見た。どれも貴重な教訓であって、それ以上でもそれ以下でもない。だから、自分がしたことを修正したいとも取り消したいとも思わなかった。その必要を感じなかった。


 人は皆、何らかの倫理観、価値観、指針のようなものに従って生きている。

 自分で決めたものもあれば、社会や宗教が決めたものもあるだろう。その大部分はまともなものだ。人間同士が社会で生きていくためには、普通、ある種の倫理規範が必要なんだ。

 その際には、「これこれこういう時は、こういう反応すべし」的なことも大抵含まれている。


 こういうとき人は喜ぶべし、こういう時は怖がるべし、恥じるべし、怒るべし

 だからって、こっちの世界に来ると、無法状態になるわけじゃないよ。たががはずれて無茶をするとか、気分の赴くままにアホなことをするとか。いや、ぼくらスピリットたちは、正しいとか間違っているとか、あるいは善だとか悪だとか言う概念を超越しているんだ。


 つまりぼくらは、そういう定義(そして定義の必要性)を超越したレベルの存在だってことだ。


 振り返りの最後に、自分の死の画面がやってきた。

 自殺したからといって裁かれる事はないとわかったけど、内心、僕はビクついていた。

最愛の人たちに大きな苦痛を与えてしまったからだ。それでも、いま自分は裁きのない次元にいるんだって感じると、気持ちが楽になってきた。


その瞬間から、僕は自分を許し始めた。


そして、自分を許す事は、やがて僕にとって最大の癒しとなっていた。』


本文109ページから111ページまで引用













人生の振り返りが終わったあとに

六人のスピリットが、

人生のすべての場面を見せた

その目的を教えてくれた....





『…じつは、僕の人生は、出会った他のスピリットたちとともに、自分ですべて前もって計画したことだった、とも教えてくれた。


 たとえば、許しを完全に学ぶためには、自分自身や誰かを裏切らなくちゃならなかった。


 人間関係の大切さを学ぶためには、ろくでもない人間関係を経験するか、人間関係の少ない人生を歩む必要があった。重要な教訓を学ぶためとはいえ、ずいぶん荒っぽいやり方だよね。でもまあ、ぼくにふさわしいやり方だったんだろう。うん、いまならよくわかる。


 人生の振り返りは、じつに盛りだくさんなものだ。


 ぼくにとって重要だったのは、善悪というものを深く理解できたことだ。さっきも言ったように、こっちでもはや「善か悪か」と言うルールに縛られる事はないし、地上のように自己批判も存在しない。


 自己批判が存在しないからこそ、ぼくは自分を許すことができた。』


本文111ページから112ページ引用












人生の振り返りを終えたとき

あたり一面ほんとに真っ暗だったんだ.....




 『このときの暗闇をできるだけわかりやすく表現するとしたら、「けっして裁かれることのない、無限の許しの空間」としか言いようがない。繰り返しになるけど、大切なことなので言わせてほしい。振り返りの中で最大の収穫はこれだったんだ。「なるほど」と思った。

 

 つまり善悪とは人間が作り出したものであって、


本当に重要なのは自分自身と他者を許すこと。


 つまるところ、思いやりと愛なんだ。』


本文115から116ページより引用


















中心になって話してくれたスピリットは

名前をコーリと言った...




 『それからコーリは、ぼくがこちらの世界へ移行して以来、ずっと確信が持てないでいたこと ── いまのぼくは、光のエネルギーのようなものでできていること、脱ぎ捨ててきた肉体は殻のようなもので、ぼくが人間としてのすべての体験を通過するために運転してきた車のようなものだということ ── を確認させた。そして、ぼくが死んだ直後からいくつかの次元を通過してきたのだと、教えてくれた。


(中略)


 ぼくは、みずから命を絶った。それは地球では悪いこととされていたから、僕はコーリから批判されるんじゃないかと思っていた。それで、コーリが次に何を言うのか不安だったんだ。僕の不安を感じとったらしく、彼女はこちらの世界には自殺と言う言葉は存在しないんだと言った。そして、こう説明してくれた。


 どうやってこちらの世界へやってきたかは問題じゃない。それも死の一つの形なんだ、って。実際、死は誕生に似ている。頭から先に生まれようと、逆子だろうと、帝王切開で生まれようと、生まれてきたことに変わりはない。


 重要なのは、生きている間に、心をどうもち続けてきたかと言うことだ。


 つまり、自分自身にも人生で出会う人たちに対しても、どれほど、ありのままの正直な感情で接してきたかってこと。


(中略)


 コーリは何の決めつけもせずに、愛だけを込めて僕に話しかけてくれた。

 ぼくに対して、一度も「いい」とか「悪い」という言葉を使わなかった。


(中略)


 僕が裁かれていないと感じた最大の理由は、地上の多くの宗教とは違って、コーリが自殺をタブー視しなかったことだ。自殺は悪いこととしてではなく、単なる事実として扱ってくれた。それで、僕はものすごく解放されたように感じた。




本文132から134ページより引用









コーリのセラピーは続きます....


 『人間関係は、自分自身を映し出す鏡のようなものだ。だから、僕が過去生で経験した人間関係の一つひとつは、エリックとしてあんなふうに生きることになったわけを理解するのに役立った。


 出会った人々や彼らの関係が「ぼく」をつくった。そうと知ったことで、自分を不完全だと感じさせていた謎の多くは解消された。


 コーリとのこの最初のセッションが終わったとき、ぼくは解放感に満たされていた。あれほどの心の痛みを感じたことがちっとも無駄じゃなかったんだ。


 コーリとのセラピーには、「なるほど!」と思う瞬間がたくさんあった。


 ぼくにとって最大の発見は、自分がじつは素晴らしいやつで、でっかい心の持ち主だったってことだ。こんなことを生きているときのに言ったら、うぬぼれの強い自己チュウと思われただろう。でも、そうじゃない。みんな、もっと自分を愛せよ。愛していいんだよ!


ぼくも生きている間に「おい、おまえはすごいやつなんだぜ!」って自分に言ってやれば良かった。』


本文145〜146ページより引用













私がここで感じるのは

良い悪い等の評価や

判断がないということで

それにより

随分世界が変わっていく

世界はシンプルであり

こんなにすっきりと軽やかなんだな

という感覚でした。



この本に出てくる「移行」の中で

一面の漆黒に包まれて

魂の洗車...と表される体験があるのですけれども

これを、この身体を持っているうちに

本当の洗車のようにできたらなあと

ちょっと切実に思いました。

それにコーリとのセッションも羨ましいですね。




















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migiwa☽ tanaka