春めき桜と月と「My life after death」2
第三部 死後の世界
「第17章 旅」より
『...僕たちスピリットが自制心を失わないのは、人間を邪魔したくないからだ。
みなさんは人として生きて、いろんなことを体験している最中なんだからね。もしスピリットがしょっちゅう人間の前に姿を現していたら、その人が今のように転生してきた意味がなくなってしまう。スピリチュアルな世界とまだつながっていると感じて、人間界での役割を演じきるのが難しくなる。人生で学ぶべきレッスンの妨げになる。うるさくて目障りなガキじゃあるまいし、集中を必要とする授業の邪魔はしたくないんだ。スピリットガイドってそういう存在なんだよ。』
以上、197ページより引用
向こう側に逝ってしまった親しい人....
または守ってくれたり、
導いてくれる存在
もっと簡単にコミュニケーションをとりたいな。
どうしてもっと
目の前に現れてくれないんだろう。
と切に思いますけれどもね。
そういうことなのですね.....
「第18章 スピリットの友だち」より
『...友だちの中には、ぼくと同じように自然が大好きなスピリットもいる。だから一緒に自然を満喫できる場所を作り出す。
ハイキングにも行く。よその次元や惑星にまで遠出して、ぜんぜん違う風景を楽しむこともある。釣りにも行く。ぼくが好きなのはフライフィッシングだ。難しいところがいい。ぼくはチャレンジが好きなんだ。
大自然を楽しむのが好きな友達は全員、生前、地に足をつけた生き方ができずに苦労していた。人付き合いで悲しい思いをしていた僕と同じように。
でも自然は素晴らしい。森や海辺に住んでいても、砂丘をかけまわっていても、雪に覆われた山を登っていても、ともかく自然に触れていると、地に足がついてくる。
さあみんなも木をハグしよう。裸足で草の上を歩こう。夜空を眺めよう。
本気で楽しむんだ!地球の自然は、とてつもなく素晴らしい。自然に感謝しよう。』
以上、199から200ページより引用
生前、地に足をつけた生き方ができず苦労する....
そんな時は、
やっぱり自然と親しむことなのですよね。
かさかさと音をたてて
落ち葉の上を歩いたり
立ち昇る土の香りをかいだり、
緩やかな水面を見つめたり
たぶん、この世界に足をつけている安心感を
それから、大気に抱かれていることを
思い出させてくれる....
それとともに、植物や木々、空の雲は
向こう側との世界の
架け橋になるとも感じます。
「第19章スピリットの仕事」より
『...ぼくはスピリットとしての仕事に満足している。
自分の仕事に満足しているのって、すごく重要なことだ。
幸福をもたらすのは、真の情熱とほんとうの自己愛であって、富でも名声でもないってことをぼくは知った。スピリットガイドとして人間たちと関わるようになって学んだのは、仕事や人間関係や健康のことで行き詰まったとき、もしその対象が好きになれなくて行き詰まったのならそれを変えるのは本人次第だってことだ。
言うほど簡単じゃない、って?わかるよ、その気持ち。人間が行き詰まるのは、半ば自分で作った泥沼に、みすみすはまってしまうからだ。
ただしぼくは本人がみずから先のない仕事「選択」するからみじめになるんだとか、健康を害するような状況「選択」するから不幸になるんだ、なんて言うつもりはない。
そうじゃないんだ、ぼくが言いたいのは、たとえひどい状況や仕事なんかで行き詰まったとしても、自分で自分を奮い立たせるとか、人の助けを借りるとかして、何とか喜びを感じられるような、前進できるようなものを見つけよう、ってことだ。
いまはオフィスで朝から晩までデスクワークだとしても、いつかやりがいのある仕事に転職できるように、頑張って大学の夜間授業を受けて学位を取るのもいい。オフィスからの帰り路に、三十分だけ、散歩して新鮮な空気を吸うのだっていい。
そういうことって、たとえいまはピンとこなくたって、本当はすごく重要なことなんだ。
これだと思うものがあったら、打ち込もう。その瞬間から何かが変わり始める。
もちろん喜びを感じるものを進んで受け入れる姿勢も大切だ。
信じられないかもしれないけど、受け入れようとしない人もいるんだよ。自分を泥沼から引っ張り出すチャンスだというのにね。たとえば、新しい人間関係や新しい仕事にめぐりあうような価値が自分にはないと思い込んでいる人は、両手を大きく広げて新しいチャンスを抱きしめる自分を想像することができない。
これは人間にとって最大の障害だ。でも、不満の底なし沼から這い上がる道を見つけたら、それに賭けて欲しい。きっといいことが起こるようになるよ。
ちょっとした気分転換で十分な場合だってある。
休暇をとって、となりの町でもいいから出かけよう。日常生活を抜け出すんだ。
セラピスト、友人、ライフコーチと話すとか、もしかするときみのスピリットガイドと話すのもいいかもね、スピリットガイドの仕事で情熱とは何かをたくさん学んできたぼくに言わせれば、情熱こそが人を「輝かせる」。もうかるかどうかは関係ない。
アホみたいに時間がかかる難しいことだろうと、好きで好きでしょうがないというものを見つけよう。例えば郵便局員としての仕事が終わったら、かたわらにいる毛のない猫にセーターを編んでやるとか。
そんなひとときこそがきみの魂に最高の栄養を与えてくれるんだよ。
これが僕の言いたいこと。』
以上、205から207ページより引用
大げさなことではなくて
ちょっとしたこと。
朝一番の空気
手におさまりの良いカップで飲むコーヒー
ほおをかすめる温かい風
焼きたてのパンの香り
活けたお花からふっと香り蘇る記憶
誰かのやさしい一言
そんなことから
次元が変わっていくのを感じる
世界はわたしの手のひらからはじまる
うんうん、と、頷きました。
第21章 神との出会い
…ぼくが死んだせいでつらい日々を送っている家族のことを考え始めた。
誰もがとてつもない悲しみに胸を引き裂かれ、癒えない傷を抱えていた。
父も母も口をつぐんだままだし、家族が互いの気持ちを理解できずにいたんだ。
なぜだ?僕は知りたかった。
なぜ自分があんなふうに人生をたどり、みんなと「離れて」しまったのか。
なぜこんなにたくさんの苦しみを生み出さなくちゃならなかったのか。
そのときだ。神がぼくの前に姿を現したのは。
その瞬間、一気に開眼したとか、ドドンと花火が上がったとかいうんじゃない。
ぼくの内なる声が初めて、「すべてなるもの」とつながったとでも言おうか。
人間同士でテーブル越しに会話するときは、実際に声を出し、耳で聞いて、相手とつながるよね。でも、神との会話では、自分の内側からも外側からも声が聞こえるんだ。テニスの試合でボールが行ったり来たりするのとは訳が違う。
神、根源、宇宙、すべてなるもの───まぁ、一番心に響く名前で呼んでもらって構わないんだけど───が、言った事はぼくの理解を助けてくれた。つまり、人間は分離(セパレーション)と言う錯覚に陥るものなんだ。
その錯覚は至福の瞬間と同じくらい強烈だ。
ぼくはその錯覚とつながり、その錯覚をもとに、ぼくの家族に必要なことを経験させなきゃならなかった。家族の苦しみを和らげてやりたいと思っていたぼくに、神は、すべてを受け入れるようにと教えてくれた。
心の痛みは良いものなんだ。そこからやがて価値あるものが生まれる。なるほど神の言う通りだった。確かに重要なものが生まれたんだ。
214から215ページより引用
「心の痛みは良いものなんだ。
そこからやがて価値あるものが生まれる。」
響きました。
アストラル界(天国)に生きるエリックが
こちら側で生きている家族に対して
様々なサインを送ったり
ときには彼らしい、いたずらをしたりします
どんな方法でどのようにされるのか。
次の機会に、引用したいと思います。
遺族のわたしたちにはきっと
心当たりが多々あると思います....


