くまもと菊池の桜と「My life after death」4
「スピリットガイドはマジで素晴らしい仕事だよ。ものすごく気分がいい。
何かお返しがくるわけじゃないけどね。ごほうびポイントも、マイレージもない。
そうじゃなくて、僕はただ、心底この仕事が好きなんだ。」
230ページより引用
「…いま強調したいのは、人間たちの成長を見守ることから、ぼくがどれほどの喜びと満足を得ているかってことだ。
人が助けを必要としているときに手を差し伸べられるのって、ほんとうに素晴らしい仕事だよ。しかも、相手の心に最も強く響くやり方で手を差し伸べられるところが、めちゃくちゃ気にいっている。
ののしったり、笑いとばしたり、からかったりすると、一番響くタイプもいれば、真面目に接する方がいいタイプ、ひたすら愛情を込めて伝えると反応するタイプ。いろんな人がいる。
ぼくは、その人にとって一番いいやり方を見つけて導くようにしている。」
231ページより引用

「どの人をサポートするかという選択は、タイミングと関係してくる。最適なタイミングを選ばなくちゃならない。
相手は耳を傾ける準備ができているのか、学んだり、成長したりする準備はできているのか、助けてほしいという気持ちを、自分から言葉やエネルギーで発しているのか。
いくらぼくが正しい答えを知っていても、相手の準備が整わないうちは、うまく伝わらない。せっかく答えを差し出されても、その人には理解できないだろう。
ぼくがサポートする中で一番よく扱うテーマは、死とそれに伴う悲しみだ。
最愛の人を亡くすと、人はきずなを断たれたように感じて混乱する。喪失の悲しみは深い心の傷となって、残された人を孤独に突き落とす。
そういう人のSOSは、インスタントメッセージや携帯メールみたいに、一瞬でぼくのところにやってくる。で、もしタイミングが適切なら、ぼくは助けに乗り出す。」
234から235ページより引用
「ぼくは、死と悲しみに折り合いをつけられずにいる人をサポートすることにほぼ専念しているけど、それ以外の問題を扱うことだってある。たとえば、人生に行き詰まって前に進めなくなっている人をガイドすることとか。
そういう問題で苦しんでいる人のエネルギーが伝わってきて、もしも、こっちの世界からのコミュニケーションが解決の助けになるなら、ぼくはすぐに駆けつけるだろう。この活動をどう呼んだらいいかな。「スピリチュアル、レスキュー」かな?なかなかぴったりの言葉が見つからない。」
239ページより引用
「助けようという相手の準備ができていないうちに、一方的に知識を投下するのはだめだ。それでは良い結果は望めない。ただし、ヒントを与えることができる。そういう小さなヒントが、癒しや成長につながる、より大きな動きを作り出す助けになる。
できる限り優れたスピリットガイドであろうとすることは、ぼくにとって重要だけど、もち弾をすべてぶっぱなしたんじゃ、そうはなれない。スピリットガイドは、人に「影響を与える」ことはできても、人を「コントロール」してはいけないんだ。
手取り足取り方式がいい場合もあれば、自主方式がいい場合もあって、どっちの方式で行くかは、それぞれの状況ごとに見極めが必要になる。
ときには人間が自力で解決しなきゃならない問題もある。そういうとき、優秀なスピリットガイドは、解決の糸口を見つけられるように、その人を導くんだ。つまり、その人の邪魔にならないように一歩下がって、見守っている方がいい場合もあるってことだ。」
240〜241ページより引用
「死にたいと思っている人、特に心の病に苦しんでいて、みずから命を絶ちたいと思っている人にも、僕は手を差し伸べている。セラピーや投薬治療など、できる事は全てやり尽くし、どんなにがんばっても、がんばっても、どうしても苦しみが消えないというなら、ぼくはその人の決断を尊重する。
でも、社会は自殺者を非難するよね。たとえそれがその人にとって死ぬべきときだったとしても、苦しみ抜いた末の事だったとしても非難する。
ぼくはそういう考え方を変えたいと思ってる。それに、もしまだ死ぬべき時じゃなければ、ぼくは、その人が救われる方法を見つけられるように手助けするよ。
トンネルの先には光があるって教えてあげるだろう。」
246ページより引用
「それから、人間のエネルギー修復の手伝いをするのもぼくの役割だ。最初はどういうものかよくわからなくて、すり傷にバンドエイドを貼るようなことかなと思ってた。
でも、人が自分で自分を癒せるように、その手助けをすることだってわかった。人にはもともと自己治癒力が備わっているんだよ。」
245ページより引用
上記のように、エリック君のスピリットガイドとしての主な仕事は、死と悲しみに折り合いをつけられずにいる人をサポートすること。
私も、是非ともお願いしたいと思い、「亡き妹との架け橋になってほしい」と、エリック君に話しかけていました。
すると、早速に新しい展開が訪れました。
生前、仙台在住時代の妹と、とても親しくしてくださったお友達が、私の展覧会へ来てくださるとご連絡を下さいました。そして、私の知らなかった仙台時代の妹の写真を何枚もメールに添付してくださいました。
私は一日中、何度もその写真を眺めていました。
早速の架け橋におどろきましたが、それだけではありませんでした。
そのお友達とギャラリーで待ち合わせをしていた前日のこと。メールが届き、仙台に在住のまた他の妹のお友達の親娘様が、たまたま私たちが待ち合わせをしている日に仙台から上京されるとの事でした。甥(妹の子供)とそのお父さんに会いに来てくださる予定とのことなのです。
それでその足で、私の展覧会へもお運びくださることになりました。
数々の偶然におどろきながらも、それならば甥とお父さんも一緒に会場に来ませんかと試しにお誘いしてみたところ、快いお返事をいただき、妹のお友達、仙台在住のお友達親子様、甥っ子とそのお父さん、妹を囲むたくさんの人がギャラリーへ集いました。
偶然におどろきながらも、新しい出会いと再会を喜び、私の知らない妹の仙台時代のお話をたくさん聞きくことができて…とても良い時間を過ごすことができました。
(エリックくん、お手並みお見事!...と内心、思いました)
そして私はその日、妹の最後の手紙を、はじめて読みました。心優しいお友達が読ませてくださったのです。
私はずっと妹の手紙を読む資格がないと思っていました。一年半の時間が経って、ここで読むことができたのは、妹が「みーちゃん、もう読んでいいよ」と、言ってくれていたような気がしました。
妹の手紙には、お友達への厚い感謝と、自分は精一杯頑張ってきたこと。最後にお友達へ送る聖書の言葉(妹はクリスチャンだったので)が綴られていました。
旧約聖書 箴言十一章二五節
「人を潤すものは自分も潤される」
...................
明くる日の夜、自宅にて。
私は妹の手紙のことを思い出していました。いつも綺麗にきちんと字を書く妹。お手本のように、こうありたいと、しゃんとした字を書いていた妹。それなのに、最後の手紙のまるで赤ちゃんのような縮こまった小さい字が、やり切れなく胸を刺しました。
この時なんでそばにいてあげなかったんだろう。
それよりなんでずっと離れていたんだろう。
せっかく姉妹として生まれてきたのに。
本当に、痛みが、苦しいほどよくわかるのに。
どうにもやり切れなくなり、後から後から涙がこぼれました。
机に突っ伏して泣いていたその時、突然いきなり家の裏ではじけるような音がしたのです。びっくりして庭に飛び出したら、裏の公園で花火が上がっているじゃないですか。
え? いま、いつだっけ?
三月だよね。
...と思いながらもとりあえず、あわてて庭にベンチを出して花火を鑑賞しました。
花火は自宅のすぐ裏の公園で轟音とともに勢い良く夜空で華やかに弾け、五分位で終りました。
何の前触れもない短い、三月の花火。
ただただ、あっけにとられるばかり…
気づいたら、おかげさまですっかり気持ちが変わっている自分を見出しました。
このタイミング!
エリック君なのかな??
「花火を上げるのは結構大変だったよ」と、言っている声が聞こえるような気がしました。
数々の素敵な贈り物、本当にありがとう。
「つまり、ぼくがやっているのは、その人が愛するもの、必要とするもの、失くして悲しんでいるものとのつながりを取り戻せるようにすることに他ならない。」
人間は何かとつながるようにできている。そして、つながることによって前進する。
「前進」と言うと直線的な動きに聞こえるかもしれない。むしろ「勢い」のほうが近い。
全方位への拡大や進化を示すからね。勢いはあらゆる方向への動きだ。前だけじゃなくて、後にも、上にも、下にも進む。しかも同時にあらゆる方向へ動く。
250ページより引用

「…夢の中で兄弟の間違いについていつまでもこだわり続けずに、代わりに兄弟からの親切の数々についての夢を見なさい。彼があなたに与えた痛みを数え上げる代わりに、彼の思いやりについての夢を見ることを選択しなさい。彼の幻想について彼を許し、彼から与えられたすべての助力に感謝しなさい。そして、あなたの夢の中で彼が完璧ではないからといって、彼からの数多くの贈り物を払いのけてはならない。彼は彼の父を表彰しており、あなたは父が自分に生命と死の両方を差し出していると見ている。
兄弟よ、父は生命だけを与える。だが、あなたが兄弟の差し出す贈り物として見ているものが、父が自分に与える贈り物としてあなたが夢に見ているものを表彰している。兄弟の贈り物のすべてを、自分に差し出された慈愛と親切さと言う観点から見なさい。そして、彼からあなたへの贈り物に対する深い感謝というあなたの夢を、いかなる苦痛にも邪魔させてはならない。」
Course in miracles
(奇跡講座)
第27章
Ⅶ.夢を見ているもの
より一部引用







































