春の宵 ピンクムーンと「My life after death」5







四月の満月は

アメリカ先住民の農事暦

(The Old Farmer’s Almanac)によると

ピンクムーンでした





My life after death


エリック・メドフス
峰岸計羽翻訳


「第四部 いまのぼく」

より引用です。



重い双極性障害を患い

二十歳で自らこの世から去った

エリック・メドフスが

スピリット、魂の存在として

向こう側の世界から語りかける内容です

エリックの母、エリーサ・メドフス医学博士と

エリックのスピリットを媒介する

通訳者ジェイミー・バトラーによって

会話はなされます。




最後は、主にエリックくんの

伝えたい想いと願い







 「どうして母との関係がこんなに素晴らしいものに変わったかというと、相手を傷つけないかどうか心配する必要がなくなったからだと思う。


 人がもし傷つくとすれば、そこには、相手と自分との関係だけじゃない、何かもっと大きな物語のようなものがあるんだ。そうわかっているから、いまはもう、物事をねじまげて考えなくなった。それに母のほうも、ぼくがもう死ぬことはないと安心している。」



289ページより引用








遠くに満月





「いまでは、母以外の家族との関係も変化した。少なくともぼくの側からは、深まったと思う。


 父やきょうだいたちがどんな人間で、何を感じているか、正確にわかるようになった。


 彼らは、まだ悲しみの中にいる。その悲しみはなかなか癒えないだろう。


 でももうずいぶん時間が経つんだから、過ぎた時間なりのことはあるんじゃないかな。


 きっと時間がうまく解決してくれる。


 決して癒えることはないと思っていた傷も、いずれ癒えるものなんだよ。


 自分自身との関係はというと、これも変化した。うぬぼれているんじゃなくて、自分を愛し、尊敬していると心から言えるようになった。


 ぼくは自分を愛している。心から愛してる。ありのままの自分をすごく愛してる。」


290ページより引用































「死や死後の世界に対する不安が軽くなるように、ぼくは人を助けている。そのこと自体がぼくにとってはご褒美なんだ。


 つまりこういうことだ。誰かのいのちを救ったとき、ぼくは自分の仕事を誇りに思うだけじゃなくて、その人が頑張ってくれたことも誇りに思う。


 差し出されたぼくの手を、その人がしっかりと握り、危機を脱し、みずからのいのちを救うまでに至ってくれたことが、ぼくは心から嬉しい。


 先生と生徒の関係は、どんなときも一方的なものなんかじゃない。ぼくだけが何から何まで知っているわけでも、ぼくひとりで問題を解決するわけでもない。


 たしかに、ぼくは全てを知ることができる立場にいるし、どっちの方向に進めばいいかを教えることもできる。でも、ぼくの指導をどう受け入れ、どう解釈するかは、その人次第なんだ。生徒は、教わったことを自分のものにしなくちゃならない。実践しなくちゃならない。闘わなくちゃならない。だから、ぼくの誇りはぼくの中に留まらない。」


293ページより引用














宵の月明かりを浴びて

ますます青の冴える

ネモフィラ




 『人間って、ときどき、世界から切り離されたみたいに感じることがあるよね。

 

 箱の中に閉じ込められて出られない、誰ともコミュニケーションがとれない、なんて思ってしまう。誰かとつながりさえすれば解決するのに、方法がわからずにいる。


 ぼくらのブログは、そういう人たちが互いにつながるための場だ。ブログを読んだとたん、「うわぁ、それってぼくと同じじゃないか!」ってなる。その瞬間から、人生はよいものだってことを思い出す。そう、これがぼくらのブログの役割だ。


 自分は孤独だと思っている人と人をつなぐこと。


 つながれば、そこからすべてが変わり始める。』



294ページより引用


*お母さんはエリックくんとの会話を

Channeling  Erik というブログで公開しています(英字のサイトです)






















 「みなさんには、人生というジェットコースターにできる限り長く乗り続けていてほしい。


 なぜって、人間として生きているのは、ものすごく特別なことだからだ。


 魂が進化するためには何かを経験し、それを味わい、誰かとつながることが必要なんだ。


 どれも地球でしか手に入らない。


 人間としての体験を手にして、魂は死後の世界へ向かう。


 ぼくは、こういうことをみんなに知ってもらうためのお手伝いができて、ものすごく満足している。」


295から296ページより引用


















 「ぼくはスピリットとしても、スピリットガイドとしても、たくさんのことを学んできたけど、もっとも重要なのは、自分には愛する能力と、すべてのもの、すべての人(自分自身をも含めて)と感情的につながる能力があると知ったことだろう。


 きっかけになったのは、自分を感情的な存在と認識したことだった。


 ぼくは感情でできたエネルギーだ。人間も感情エネルギーの存在だ。だから、それに気づいたら、その感情ーとくに共感や愛ーを外に向かって表現できるようになるし、やがては、ぼくと同じようにあらゆるものとつながれるようになる。」


298ページより引用





















「ぼくにとってその次に画期的だったのは、孤独は幻想だと学んだことだ。


 とてつもない孤独を感じている人や、自分の体験を誰も理解してくれないと思っている人は、そんなの、うそっぱちだと思うだろうね。わかるよ。


 でもさ、ぼくの願いを聞いてくれないか。


 今度、自分が世界から切り離された孤独な存在だと感じたら、外へ出て、夜空の星を見上げてほしい。たとえ孤独を感じてもーとくに、愛する人を亡くしたときはそうだけどー星たちがそうであるように、きみも宇宙という構造の一部なんだ。そして、きみも星も、過去、現在、未来のあらゆる存在とつながっている。


 そのことを忘れずにいてほしい。」


298ページより引用



















 「人類ってのは、なんで、こうも、もがいたりあがいたりするんだろうな。見ていてつらいよ。マジでつらい。もうちょっと辛抱強く自分自身と世界を見つめなおしたら、苦しみの多くは自分でつくり出したものだって気づくのにね。


 苦しみの中に、いろんなチャンスが隠れているってことが見えていない。」


300ページより引用



















「歩みは進んでいる。ゆっくりだし、たいへんだけど。それもまた宇宙の摂理なんだろう。


 地球で起きているいろんなこと、たとえば、紛争、飢餓、病気の蔓延などを、ぼくたちスピリットは悪いこととはとらえていない。


 血も涙もない言いぐさだと思うかもしれないけど、スピリットのレベルでは、「いい」も「悪い」も存在しない。


 何もかもが進化という現在進行形のプロセスの一部なんだ。」



301ページより引用


















 「人類が進化を続けても、戦争や苦しみは続くのかって?


 そうだね、地球上から、消えてなくなることはないだろう。人類が失敗から学び続け、憎み合うより、愛し合うことを続けていけるなら、状況は改善するだろう。


 それでも、苦しみが完全になくなる事はない。


 なぜなら、人間は幸福から学ぶのと同じくらい、苦しみからも学ぶからだ。」




303ページより引用

















 「多くの人が、これから世界はどう変わっていくのかと尋ねる。


 それに答えるまえに、ぼくたちの観点からすれば、いいも悪いもないんだってことを思い出してほしい。ただレッスンがあるだけだ。


 人類を待ち受けているときみが思っている「闘い」や「苦悩」は、レッスンを与える。


 そのレッスンによって人類を成長する。でも、きみの視点に立つならーそう、きみの理解を助けるためには、ぼくはそうしなくちゃならないー世界を「よりよい」場所にすることは、何よりもまず、きみ自身を愛することでもあるんだよ。



そう、きみ自身を大切にするんだ。」




306ページより引用
















「人生がどんなにつらくなろうと、どれほど惨めな気分になろうと、手を伸ばし、共感し、思いやりと愛を広げよう。いつだってそれが、前進するための手段なんだ。


 他人に対して気持ちを偽らないことでも、世界を「よりよい」ものに変えることができる。


 これは単に個人と個人がどうとかいう話じゃない。なぜなら、きみが自分の気持ちに正直になると、一番自分らしい自分になり、さらにその変化がさざなみのように、きみのとなりの人、そのまたとなりの人へと伝わって、いつか世界中に広がるからなんだ。」


308ページより引用











 『最後にもう一つ、世界を「よりよい」場所にするために覚えておいておいてほしい。


 それは、地球そのものを含めた、すべてのものの中に、集合的生命力が宿っているということ。何一つとして切り離されたものはない。切り離された存在なんて幻想に過ぎない。


 ぼくたちはみな全体の一部なんだ。


 一つになってぼくたちは愛を見つけ、愛を広めていくんだよ。』




309ページより引用








出典







この本を読んで、生きていく勇気を感じた、など、そんな感想もあるのかもしれません。


しかし実際に私は、身体を脱ぎ捨て、自我(エゴ)が落ちると言うことは、なんて軽やかで素晴らしいことなんだろう、と思わざるを得ませんでした。


ここがまた、どういうのが良いのか悪いのか、望ましいのかそうでないのか、ということになってしまいがちなこの世の判断と言うものを、つくづく考えてしまうのですが。


結局は、何を思ってもいいような気がしました。死にたい時もある。生きたい時もある。何を考えても、それに対していちいち罪悪感を抱くのが私たちの常。自分が素直にその時に思ったことを感じていれば良いのだし、それを日々許していきたいと思います。思いっきり笑ったり、泣きたいときには泣いたりしたい。


向こうの世界では、(本の中ではマニフェステーションと表現されていましたが)思ったことがすぐ実現します。たとえば、海のそばに別荘が欲しいと思った途端に、目の前に理想の海辺と別荘が現れます。


それではこの世とどう違うのかというと、やはり、たとえば別荘が欲しいと思った時、それを手に入れるまでの工程の物事が、すべてスムーズに運ぶが良いな、と思うのですが、なかなかそうもいかないように感じてしまいます。


何かを望んだ時、それに対する抵抗は極力なくしていきたいところですが、もしかしたら、その抵抗に、何か現世独特の面白さがあるのかもしれない、と、ふと思いました。


わざわざそれをやるためにこの世に生きてるのだということを。私は忘れてしまっているのだろうか。


大体に於いて私たちは、本当の望みを知らない場合が多いと思います。表面的に何かを望んでいるように見えても、本当の本心は違うことを望んでいたりすることが大いにあると思うのですが、どうでしょうか?


ですので、何かを望んだ時、もし違う結果が来た場合、お、これがきたか、あれがきたか。なるほど。と、いうことは…私は本当は何を望んでいたんだろうか。ちょっと考えてみようかな。などと、様々なことに「抵抗しない、判断しない、執着しない」(by Eckhart Tolle) そんなふうに、軽やかに生きていきたいものだ。


この本を読んでいろいろなことを感じましたが、ひとつはあの世をしっかりと見据えて、この人生を少し距離を置いて俯瞰して見ながら生きていきたいものだと、つくづく感じさせられました。












以下は
A Course in miraclesより引用





 「こうしたものが、あなたに見える唯一の絵である。すなわち、あなた自身が夢を見ているものでないとしたなら、これが、あなたが選び得る唯一の別の選択肢であり、原因として考えられる他の可能性である。そして、もし苦しみの原因が自分の心の中にある事を否定するなら、あなたはこれを選択する。原因が自分の心の中にあることを喜びなさい。そうであればこそ、あなたは時間の中における自分の運命の唯一の決定者なのである。死の眠りと邪悪な夢を選ぶか、それとも、幸せな目覚めと生命の喜びを選ぶか、その選択を下すのはあなたである。」








A Course in miracles

(奇跡講座)

27

Ⅶ.夢を見ているもの

より一部引用








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migiwa☽ tanaka