青空と私の心




沖縄の朝のような青空

まるで

天使が筆で絵を描いたみたい





虹の龍が飛んできた!




青い龍も飛んでいった......




私の心が癒えるのに、時間がかかるのは当たり前のことだ。




庭に出て椅子にもたれかかって青々と両手を広げたマザーツリーを見上げ、眺めていると、どこからともなくとても良い香りがする。懐かしい香りだ。

何とも言えない香水のような… 



みかんの花かもしれない。どこに咲いてるんだろう。泰山木かもしれない。花のつぼみをつけているようだから。

その花のつぼみは太陽の方角を向いていて。地上からは見上げてもどこにあるかわからないし、木々は青々と茂り、その花の姿を見ることはできない。






誰からも切り離されてまったく一人ぼっちだと言う気持ちが、ときおり波のようにおそってくる時がある。これは一体何なんだろう。


こういう事は他の人にもあるのだろうか。それともある人とない人と、いるのかな。

なんだかわかんないけど、それは何処からかやってくるものなので。


やってきてまた去っていくのをじっとやり過ごし、待っている。


だけどときにはそれは重すぎて、そこから逃れようもない気持ちになることもあるし、そういう人がいるとも思う。


妹もそうだったんだろう。

私と妹は似ているから。





でもいま私は、これがやってきて去っていくものとわかっている。

うっすらと溶けてなくなっていく。

そしてまた、ありありとリアリティーを持ってやってくる。

そしてまた波のように引いていく。




ちょっとしたこと、誰かの一言、ちょっとした会話、メッセージ、読んだもの。何かちょっとしたことで、それが吹き飛んでしまうこともあるし、逆にちょっとした些細なできごとで、それがまた重くのしかかることもある。



それにしても、外からの働きかけでこういうものが来たり去っていったりするのはちょっと困る。自分で、これと自分とは別だと切り離す方法のひとつとしては、わたしは、こうやって書くことなのだ。





妹が自ら逝ってしまって、また身近な人や、知人や、先に逝ってしまった人々。

その人たちから教えてもらう事は、その人がどれだけ愛されてきたかということだ。


実際、妹の知人や友人が、妹の死を悼んででくれる様子を見ると、こういうと変かもしれないが、やっぱり、正直言って嬉しい。


妹のために涙を流してくれると、とてもうれしい。


もちろん涙が流れないほうが、それはそれできっと良いのだろうけれど、やっぱりその涙のひとつぶひとつぶが、私にとっては癒しになる。


妹は、正直言って、自分ではここまで悼まれるとは思わなかったのではないか。


私だって、時々、さっき言ったような孤独病が襲ってくるときに、私が死んだって誰も悲しまない、私が死んだって誰も気づかないと思う。



だから、何を言いたいかと言うと、私が、すべての人から切り離されていて、誰も私のことに気づかなくてと思う時。そんな事はもしかしたら自分の幻想かもしれない。




私は、みんなの愛の手のひらの上にいるのかもしれない。と思うようにしている。と言うことだ。




実際、エリック君も本に書いていたけれど、自分の葬儀の最中に、みんなが思うことがひとつひとつ手に取るように感じたと言うが。




以下


My life after death


エリック・メドフス
「第一部 ぼくの死」76~77ページより引用






......「どうしてこんなことをしたんだ?」と尋ねる声もあった。

それから、きみを愛している。きみがいなくなって寂しいよ」とか、「きみは大丈夫かい?」とか。ぼくに話しかけている声も、ぼくについて話している声も、まるで交響曲のように一斉に聞こえてきた。





......この葬式で一番うれしかったのは、愛があふれていたことだ。笑いもたくさんあった。葬式に対して抱いていたイメージとまったく違うものになった。もちろん、悲しみも感じたけれど、幸せも感じた。みんながエリックの思い出話を披露しながら、「こんなことしてもらった。とても感謝している」と話していた。





......ぼくが生きているときは、その手の話を聞いたことがなかったから、なんで、生きている間に話してくれなかったんだ、って思った。そうだろ?ほんとうの気持ちを話すのに、死ぬまで待つべきじゃない。



引用以上







それなら生きてる時に言ってくれればよかったのに。ほんとにそうだよね。


私たちは誰かを好きでも、あんまり口に出して言わないよね。



誰かに対して、生まれてきてくれてありがとう、そこにいてくれてありがとう、と思っても、わざわざそんなこと口に出さないよね。



もしかして誕生日がそういう日なのかもしれないけど。日本では特別に大勢で祝ったりはしないかもしれないし。お互いに誕生日を相手に教えるのも逆に気を遣わせるようで憚れるものね。



本当は、口に出していったほうがいいのかもしれない。


大好きだって。すごくありがたかったって。


力になること言ってくれてありがとうってね。







以下は
A Course in miraclesより引用








A Course in miracles(邦題:奇跡講座)は、コースのテキストです。イエスの意識が書いたと言われる本ですが、特定の宗教には捉われない本です。(私も無宗教)私にとっては誰が書いた如何に関わらず、自分にとって心地よく明快な実践書ならば良いですね。


「実在するものは脅かされない。実在しないものは存在しない」(序文より)


明快だ!


みんなが大好きなエックハルト・トールとか、あとは特にダグラス・ハーディング、好きですね。文章が良くて、壮大な世界観にワクワクします。


意識の存在ならば、感覚に従うことを推奨する「委ねる芸術」のエイブラハムさんが私にとっては明快で、エイブラハム斬りにはが思わず拍手!


人間ではH.D.ソローの文章が一番心地よく、その中でも日本人ならば宮沢賢治が一番好きですね。





27-7より一部引用


「原因が自分の心の中にあることを喜びなさい。そうであればこそ、あなたは時間の中における自分の運命の唯一の決定者なのである。死の眠りと邪悪な夢を選ぶか、それとも、幸せな目覚めと生命の喜びを選ぶか、その選択を下すのはあなたである。」


27-8より一部引用


「救いの秘密は、あなたは自分で自分にこれを行っているという事だけである。攻撃の形のいかんにかかわらず、依然としてこれが真実である。敵や、攻撃の役割を、誰が担っていようと、依然として、これが真理である。何があなたが感じている苦痛や苦しみの原因に見えようと依然としてこれが真実である。」










天国に住むゆうちゃん、お誕生日おめでとう。

大好きだよ。





migiwa☽ tanaka